私がへこたれずにボイトレや歌を続けることができた理由となった2つの言葉。

それは、
「人間は、『自分に出せる声』しか出せない」
「人間は、『どんな声』でも出せる」
という2つ。



○この話は前回の続きです。


すごい物を見てもへこたれない人
という記事を読んで、
へこたれないメンタリティーを身につけるためにするべきこと、あるいは練習のモチベーションを保ち続ける方法。 - 烏は歌う
という記事を書いたのですが、なんだか大事なことを書ききれなかったような気がずっとしていたんですよねえ…。



○他の人のブログを読んで


他の人がこの増田について書いた記事をそんな状態で読んでいて、はっとさせられる表現があったので引用します。


夏休みの長話。〜すごい物を見てもへこたれないために〜 - teruyastarはかく語りき

「だから自分で答えを探そう、、ではなく、
"自分で答えを創りだそう"
世界に答えがあるんじゃなくて
自分で答えを作っていいんだ、という君なら、
"できない" とは思いにくいんじゃないかな?」


ボイトレやっていく上で、この考え方ってすごく大切だなー、と思いました。


基本的に、ボイトレやっていく上で「答え」なんてものは存在しません。
「絶対にこうならなければいけない」なんてものはありえないわけです。
でも、それを勝手に「良い声」みたいな曖昧な言葉で示される声に代表される「答えとなる声」が実在すると思いこんでしまい、それと自分の現状との違いばかりを気にしてしまい、精神的に落ち込み…みたいな人をたくさん見てきました。
(まあ私の場合、まわりが合唱人まみれなので、「コンクール病」とか「指揮者依存症」とかもあって、こういう辿り着き得ない「答え」に迷って立ち止まってしまう人がすごく多い。)


よく「そもそもどういう声が良い声なの…?」「どうやったら良い声になれるの…?」みたいな悩みがありますが、100%正しい「良い声」、万人の認める「良い声」、究極的な「答え」としての「良い声」、そんなモノは存在しません!


「良い声」とは、最終的には自分で判断し、自分で決断し、自分で工夫し、自分の実力の範疇で、自分で実行し、自分で実現し、自分で評価し、自分で責任をとらなければならないものです。
そうやって作り上げられた声は、強い意志と意図のある、評価を世に問うことのできる、芸術と呼ぶに値する、世界に一つだけの、「価値ある声」となります。


数あるボイストレーニング法、ボイストレーナーは、その実現のお手伝いをしたり、判断・評価基準を増やしたり、そういうために存在するものであり、決して「答え」を知っているわけではないのです。



○冒頭の言葉


冒頭の、
「人間は、『自分に出せる声』しか出せない」
「人間は、『どんな声』でも出せる」
という2つの一見矛盾する言葉ですが…


まず、「自分に今なにができてなにができないか」というところから目をそらさないことが大切ですね。
あとは、性別とか体格とか生活習慣とか嗜好によって「すごくやりにくい」ものからも目をそらさないことも大切。
世の中「制約」だらけで、そんな中で「私がもし○○な声だったら…」「私がもし○○だったら…」とか、妄想だけしたって世界は何も変わらないです。
(目標やメンターを持つことも重要だけどね。)
さまざまな制約や未完成性によって規定される「自分の声」というものと、私たちは一生つきあわなきゃいけないわけです。


でも、そういった「制約」の中では、限りなく自由なんですよね。
なにをやってもいいし、やらなくてもいい。
制約を撤廃できるようにがんばってもいいし、制約の中でベストを目指してもいい。
制約を真っ正面から克服しようとしてもいいし、小細工を使って裏道からすり抜けてもいい。
「答え」は無い。
楽しめばいい。
そうやって、「自分の声」を作り上げていけばいい。


上に紹介した記事では、

ありのままの自分を許すことが、自分を信じることであり、
自分の世界を書き換える鍵なんだ。

と書かれていましたが、そういうことだと思います。


自分の声、自分の歌、それはたぶん思い返すまでもなく「制約だらけ」だと思いますが、それを許すこと、信じること、好きになること、面白がること…
それが一番大切なのかもしれません。