「暗黙知・経験知」を「形式知・知識知」にしようという話(追記あり)

たまには初心に返ってみる話。


この前、大学時代の合唱団の友人達と合う機会があって。
その時に、
「ブログ読んでるけど、よくあれだけ色々書けるよねー…」
と言われたので、
「まあ、ある程度合唱やってる人間なら知ってて当たり前だけどなかなか言葉にはできない暗黙知的なものを書いてるだけだよー、それを書いていくだけでかなり膨大な量になるよー」
と答えました。


その人は私よりずっと合唱歴が長くて、私よりずっとずっと評価の高い歌い手なんですが、このブログのように色々な発声法のポイントやテクニックなどを他人に紹介できるか、と言ったら「絶対無理」だと言います。
それは何故かと言えば、「感覚でやっているから」だそうです。
今日は少しそのことについて少し書いてみたいと思います。



○私には「センス」も「才能」も「経験」も無かったから…


私が何故こんな風に発声に関する色々を文章にして公開しているか、下の記事を読んで貰えるとわかるかと思います。


「センス」がないやつは頭を使え 感覚を言語に翻訳しようという話 - ポンコツ山田.com

まず前提として、私には音楽の「センス」はないです。この場合の「センス」は、「ノリ」や「グルーブ」などの感覚的なものを感覚的なままに他の人間と共有する能力、ということですか。

頭で具体的な言葉を見つけなくとも、感覚的に、身体的にここをこうすればこうなるんじゃないのか、とピンと来るのだと。

この身体レベルでの感覚性。これを「センス」といってもいいでしょう。

で、私にはそれがない。

だから私が音楽を他人とする場合はどうすればいいか。

「ノリ」や「グルーブ」を共有するにはなにをしなければいけいないのか。

それは、上に挙げた話でも書いた「共通見解を取り付ける」ことです。

自分の感じたこと(感覚的なもの)を具体的な言葉に翻訳しなおし、それを他のメンバーに示して、彼らにも理解してもらうことです。

これは複数人で合奏する場合に限りません。独奏でも、あるいは個人での練習での段階でも、自分が感じている違和感や目指しているイメージがどういうものか、具体的な言葉で表さなければ、自分で納得するようにはならないのです。


ボイトレ界隈でも、


「もっと深い声で!」


「もっと喉を開いて!」


「もっと響かせて!」


「もっと上から声を出して!」


「もっと声を回して!喉の奥で回して!」


…みたいな、ある程度合唱・声楽界で暮らしてりゃごくありふれた言葉遣いなんだろうけれど、部外者から見たら超シュールな感覚言語による世界が広がっているわけで。


で、私も「センス」に欠ける人間だったので、このような「感覚言語」を「具体的言語」に、みんな知っているけど言葉にはできない「暗黙知・経験知」を私にも・誰にでもわかる「形式知・知識知」に翻訳しなければならなかったわけです。


その「翻訳過程」の集積や、「翻訳してみたらわかったこと」の集積が、このブログです。



(ここから追記)
○「わかる」と「できる」は違う


「わかる」と「できる」は違うという言葉は、よく聞きます。
が、普通問題にされるのは、「わかっている」けど「できない」では何の意味もない…という文脈です。


しかし、今回の記事で問題にしたいのは、
(感覚・勘で)「できる」けれども(理論的・具体的に)「わからない」
という状態ですね。
この状態だと、「ひらめき」とか「模倣」とかを通してしか成長できないので、今は良くても今後成長する効率が悪くなってくるかもしれませんし、「壁」にぶつかったときに越えられるかどうかは運任せになってしまいます。
「何故そういうふうにできているのか」というところを具体的に言葉にできる・一般化して考えられるレベルで認識できていないと、上手く行かないときに「何故上手く行かないのか」がわからないからです。


また、そういう状態の人に「発声指導」されるのはちょっと嫌ですね。
上に書いた「伝わらない」という問題だけでなく、基本的に自分の経験・勘からくる指導しかできないので、自分と性別やら経歴やら「感じ方」やらが違ったりすると的を射た指導ができない、という問題があるからです。


とあるプロのボイストレーナーのブログで、

http://blogs.yahoo.co.jp/nishikaze4302/50434749.html


 声の様子を表す言葉ですが、「声の質が暗い」「押しつぶすような歌い方」「周りに溶けこむ声」「前へ進む歌い方」等々は、先輩や先生からの指摘ですね。
 冷たい言い方ですが、私は未完の歌い手の自己判断を、ほとんど信用していません。
 息が流れない、腹式呼吸ができない、地声が気になる等々の言葉は、本来のその人の語彙には無いものです。多くは指導の過程で耳にたこができるほど言われ続けて刷り込まれた一種の呪文です。私も指導者の一人ですから、おおいに反省するところです。

という文章があったのですが、
「自分では適切な指摘・指示ができているつもりでも、結局は自分が言われてきたことを再現しているだけ」
という指導になってしまいがち、という問題もありますね、「感覚」だけによる、言葉が「翻訳」・「一般化」されていない指導だと。


そういう様々な問題があるので、ボイストレーニングにおいて「感覚」というのは非常に大切で、もちろん磨き続けなければならないけれど、それだけでなく、「感覚」を「具体的言語」に「翻訳」していく努力も大切だな、と私は考えています。