「真似」による「学び」…の落とし穴。


○「人は悪い部分から真似てしまう」


今日Twitterで、非常に考えさせられるツイートに出会いました。


上手い人、広く認められている人、売れている人…の真似をすることは、どんなジャンルでも、当然ボイストレーニングや歌でも練習方法の一つとして非常に有効です。
「まなび」の語源は「真似」という話も広く知られているところでしょう。
私も「○○に学ぶ」シリーズとして、「ものまねのススメ」みたいなものをこのブログで書いています。


しかし、その「ものまね」による学習には、当然落とし穴があるわけです。
「人は悪い部分から真似てしまう」
というのは、確かにありがちな失敗の一つですね。
「目立つ、悪い部分」だけを真似ても成長には繋がらないし、「目立つ、悪い部分」を真似しただけのアウトプットが素晴らしいものになるわけがないのです。


まあ、ボイトレ界隈でも、「誰々の真似は、初心者のうちは絶対やめろ!」みたいなことはちょくちょく言われますな。
男なら、稲葉浩志とか、桜井和寿とか…。
こういう人の声を聞いて、何も考えずに「この人みたいな声になりたい!」という練習をしたら、確かにどうしても「悪い部分から真似てしまう」という状況になりやすいよなあ…と思ったり。



○私の苦い経験


私は大学時代に合唱サークルで活動していたのですが、私の同期で「一番合唱が上手い、良い発声である」と言われていた男が…ものすごく、良くも悪くも「合唱・声楽だけをやってきた声、合唱・声楽しかやれない声」だったのです。
(まあ、本格的に声楽を学んでいる人から見たら「疑問符もの」ではあったみたいだけど。)
かつて、下の記事でも紹介したのですが…


もう一つの、「喉を開いた発声」 - 烏は歌う

確かに凄く「声帯の鳴り」は良さそうだし、素人耳には「声楽家」っぽい感じなんだけど、なんというか、「自然な響き」ではないんです。
比較的ナチュラルな声を志向している私は、その「不自然さ」が気に食わなかったので、彼の声は嫌いだったし、彼の指導はあまり真面目に聞きませんでした(苦笑)。
一度声楽の先生から少しだけボイストレーニングを受けられる機会があったのですが、彼の声の響きは「不自然」というか「不健康」であると言われ、下に書く「舌出し発声」をさせられていたあたり、あながち私の直感は間違っていなかったようです。


で、「彼の声は嫌いだったし、彼の指導はあまり真面目に聞きませんでした(苦笑)」とは、書いたんですが…
ひねくれ者のこの私でさえ、やはり「一年生」のときは割と素直だったようで、まわりから「上手い」「良い」と言われていた彼の声に近づこうとかなり努力していたのです。
   「とにかくファルセットを使わず、実声で引っ張る!」
   「声をもっと強く!厚く!重く!深く!」
   「喉を開く!あくびの喉!」
それで、その努力の方向が完璧に間違っていたようで(笑)、「発声」に関しては「自分がもともと持っていた良いところ」を完全に見失い、どうしようもなく力んだ「喉声」になってしまい…まあ、発声に関しては一年を棒に振ってしまったようなものです。
彼の声の「目立つところ」に現れる「音圧の強さ」「音色のこもり具合」「声帯の鳴りの不自然なまでの強さ」…というところを真似しようとして、とても残念な発声になってしまいましたよ、と。
「目立つところ」を真似ようとすればするほど残念な声になっていってしまいました。


ある意味、この一年を通して「もはやなにが正しいのかわからない、だれも信じられない」状態になったことによって、「発声」についてとことん迷い、今ブログにまとめているようなことを考えるきっかけとなったとも言え、ある意味この出会いに感謝しなければならないかもしれませんが。



○「真似」を通してレベルアップするために


「真似」をすることはもちろん学習の方法としては非常に重要なものですが、「悪い部分から真似る」という状況は避けたいですね。


そういう状況を避けるには…


まず、「真似るべきものを間違えない」ことが何より大切なわけですが。
それを実現するためには、「理論」を学んだり、「批評」について勉強したりすることで、「何が優れていて、何を学ぶべきなのか」「何が理論・基本通りで、何が理想的なのか」…ということを判断する目を養う、というのがとても重要だと思います。
そのためにはまた、「型」「定番」「古典」となっているものを徹底的に真似てみる…というのも効果的ですね。
一時の流行りや好みに振り回されず、また「あれもこれも美味しいとこどり」という感じではなく、「目立つところ」だけ真似ただけで満足せず、徹底的に「型」「定番」「古典」を繰り返すことで、自分の中に揺るぎない「軸」「基準」「土台」を育てることも必要です。


また、「基礎力の鍛錬を怠らない」ことも必要であると思います。
基礎力が無いと「真似るべき優れたところ」を発見しても、当然それを理想通りに行うことは難しく、「上辺だけのものまね」、汚い言葉で言えば「猿真似」になってしまい、学びからは程遠い状態になってしまいます。
なので、「真似るべき優れたところ」を見つける目だけではなく、それを実際に活かしていくための最低限の「基礎力」を身につけておくことも必要です。
当然、「基礎的なことを素晴らしくできている人の真似をする」というのは、「基礎力」を鍛えるために非常に重要なことです。


さらに、「自分の個性と向きあう」というのも大切ですね。
どんなに「型」通り「理論」通りやったとしても、やはり生身の人間である以上は、アウトプットは全然変わってきます。
だから、「いくら真似してもあの人みたいに上手くいかない!」ということは往々にしてあります。
なので、ただの「真似」に終わらず、その「真似たもの」を自分の身体・特性、自分の勝負するジャンル・コンセプト…に応じて「調整」していく必要もありますね。
この辺は、いわゆる「守破離」のお話になるかと。
守破離
自分のジャンルを極めることも大切だけど、表現の「幅」を身につけるため、自分にとって最適な表現と出会うためには、様々なジャンル・人の「真似」をし、色々な要素を吸収していく必要もあるかもしれません。
その試みが「猿真似」に終わらなければ、新しい表現を身につけられるだけでなく、元々の「型」の強固さ・精度の高さも上がってくるはずです。


守破離の話をついでにしておくと、
「真似」による「学び」
というものを、
・「守」のために行う…真似によって「基本」を学ぶ
・「破」のために行う…真似によって「新しい視点」を得る
の2つに分けて考えるのもいいかもしれませんね。
当ブログの「○○に学ぶ」シリーズでは、一見「破」のように見えて実は「守」のためのモノマネというあたりを狙ってます。
一見「新しい視点」のように見えるけど、あくまで素晴らしい「発声の基本」の見本として挙げてますからね。
まあ、「一部の方の固定概念を破りたい」という意味では「破」のエントリ、でもありますが。