「声をつくらない」ということについて


Don't make your voice.
(3:50あたりからのお話)

この言葉は、私にとって非常に大切なものです。
自信がなくなりそうになったときや、フォームが大崩れしてしまったとき、この言葉を何度も自分に言い聞かせてきました。



○もちろん、「声をつくる」のが絶対ダメってわけじゃない


その102「声は作ってはいけない?」|Find Your Way

色々例を出して考えてみると分かりやすいのですが、
例えばオペラ歌手を例にしてみましょうか。
彼らは生まれつきああいう声でああいう歌い方をしてたのでしょうか?

次に演歌歌手で考えてみましょう。
彼らは生まれつきああいう声でこぶしを回しながら歌ってたのでしょうか?


生まれつき全て出来る方もごく稀にいらっしゃるのかもしれませんが、
歌い方も声質も、訓練や真似事などから
後天的に身に付けた人がほとんどだと思います。


と言う事は自分の声や歌い方に何か不満があった時に
「自分はこう言う声質だから声は作ってはいけないし諦めよう」
なんて考える必要はないと言う事です。


こういう考え方にも、私は全面的に納得します。
なら、何故「声をつくってはいけない」という考え方がボイトレ界隈では根強く支持されているのでしょうか?



○理由その1・「強みを生かせ」とドラッカーも言ってるので


人間には「もともと持っている声質」というものがあります。
声帯の形や厚さをはじめとして、体格だとか筋力だとかのフィジカル的な特徴、さらには外向性や真面目さなどのメンタル的な特徴、さらには「どこでだれとどのような関係でどんな風に話してきたか」「どんな歌に触れてきたか」などの人生経験によって、声質のかなりの部分が決まってきます。
なので、その特徴に逆わずに、「もともと持っている声質」を上手く生かせるような発声をすることが、「良い発声」を得るための近道なんですね。
で、その「もともと持っている声質」というのがよくあらわれるのが、「つくらない声」なわけです。
リラックスしているときの話し声とか、笑い声とか、思わずひとりごとを呟いたときの声とか、ため息をついたときや驚いたときや力を入れたときに「ふとこぼれる声」とか。
そういった「素の声」を大事にすることがとても大切だし、「素の声」と出来る限り同じ感覚で発声することがとても大切。


ジャンルや好みによって、もともとの声の形をちょっと変えたり、色々と盛ったり削ったりして「調整」するのは全然いいことだと思うのです。
また、理想の声に向かって一つ一つ努力を積み上げていく、長い時間をかけて声を作り上げていく…というのも素敵だと思います。
ただ、「もとからある発声の形を大幅に削ったり、急造で厚塗りしたり」「土台からぶち壊して新しく作りなおそうとしたり」「自分自身の現状を省みずに闇雲に練習を積み上げたり」「他人の強みをそっくりそのままいただいてやろうとしたり」する人がいるんですが、これは非常にまずい。
上達の手段としては一見近道に見えて確実に遠回りですし、「自分の最もいきいきと発声できる、自分本来の声」を失ってしまうことも。
その辺の私の苦い経験は下のエントリで…。
「真似」による「学び」…の落とし穴。 - 烏は歌う



○理由その2・「小手先の技術」で声をつくっても通用しないので


また、「声をつくる」ことができると言っても、「小手先の技術」だけでつくった声では全然心に響くものにならないという問題があります。
先ほども書いたとおり、声は体格や性格や人生経験などによって形成されてきます。
「男の顔は履歴書である」という名言がありますが、声もまた「履歴書」と成り得る、その人の人生そのものをあらわすものだからです。
だから、「自分の中にない声」を上辺だけ取り繕ってつくっても、「まがいもの」にしかならないわけです。


さらに、声を出すための重要な器官である「声帯」や「横隔膜」などは、ある程度は技術でコントロールできるんだけれど、「感情」「こころ」に強い影響を受けてしまいやすい器官なのです。
なので、「こころにもない表現」をかたちだけつくったところで、この辺の器官が上手くはたらかないのですぐバレます。しらけます。ほんとに。


この辺のお話は…「声総研」のコラムで面白いものがありました。
良い声の秘訣は内面から! "ベジータ"堀川りょうさんインタビュー - スペシャルインタビュー | 声総研 - いい声になろう!
それと、チャトラ猫先生の最近の記事も。
第29回 歌うということ - ヴォイストレーナー チャトラ猫の原稿倉庫 - Yahoo!ブログ
一応、このブログの過去記事も紹介。
声が伝えるもの…ロッテ西岡選手のヒーローインタビューから感じたこと - 烏は歌う
関係ないけど、matasaburoさん、懐かしいなあ…。



○理由その3・「声をつくる」と、無理な発声になりやすい


発声技術的な話をすると、「声をつくろう」とすると「無理な発声」をしがちになるので注意が必要です。
まあ、どんな声をつくろうとするかにもよるのですが、「声をつくる」という行為は確実に「それまでの発声のバランスを崩す」行為であると言えるので、気をつけなければなりませんね。


ありがちなのが…声をつくろうとしすぎて、いわゆる「喉声」や「鼻声」になってしまうことかな。
典型的なダメ声、「喉声」とは? - 烏は歌う
典型的なダメ声、「鼻声」とは? - 烏は歌う


あとは、変にハスキーにしてしまったり、逆に息漏れしないように喉を詰めすぎてしまったりとかね。
本当色々なパターンがあると思いますが、とにかく「無理」は禁物ですので。


あとはまあ、上の動画では「ビブラート」の練習の動画の一部なんですが…。
「声をつくろう」としてしまうと、力みや身体への負荷、発声への違和感やぎこちなさのせいで、逆にビブラートなどの「細かいニュアンス」がつけにくくなることも多々あります。
リラックスして一人で「何気なく」歌ってれば良い歌を歌えるのに、人前で気合を入れて歌うと急に音程やリズムが悪くなったり、表現力が変な感じになったりするのは、「緊張」とかのせいの場合もありますが、「声をつくってしまった結果、失敗した」という場合も非常に多いです。



○理由その4・精神論としての「声をつくってはいけない」


「声をつくり過ぎてしまった」ときって、どんな気持ちだったかな?…と考えると、
・声を出すことに対して気負いすぎているとき
・自分の声をあまり好きになれていないとき
なんてマイナスなものも考えられますね。


適度な気負いや緊張感は実力アップに貢献しますし、コンプレックスをバネにすることは成長を加速させる要因になったりもします。それはまぎれもない事実です。
…が、やっぱり、
「自意識の檻に囚われている人の声」
「自分の声がキライでしょうがない人の声」
ってのは、魅力的とは言いがたいものになってしまいがちなんですよねー。


だから、精神論というか、心の在り方の問題として、「声をつくってはいけない」という考え方は大事なんです。
自分自身の「つくらない」ありのままの声を、欠点も込みでさ、愛してやらにゃあならないと思うんですよ。とりあえず。
欠点も込みで愛して、信じて、認めて、許して…それができないと、「声で人の心を動かす」なんてできないんじゃないかな、と思います。


要するに、欠点だらけの私の声であっても、「手持ちのカードで勝負するしかないのさ、それがどういう意味であれ」。
完璧主義の人は、配られたカードで戦うことを意識しよう | nanapi [ナナピ]


過去に似たようなこと書いてたなあ、と思い出したので、最後に紹介。
私がへこたれずにボイトレや歌を続けることができた理由となった2つの言葉。 - 烏は歌う