「声量」のお話+余談(長い)

前の記事の、
歌手の評価って難しい。 - 烏は歌う

「声量ある/無いから上手い/下手」とか言うのは、「私、わかってない人です!」と自己紹介してるのと同じでございます。

という一言が引っかかってる人が多いみたいなので、少々補足。


過去記事。


とりあえず、私は歌における「声量」というものをこう思っていますよ、という過去記事を紹介。


声量、それ自体はあんまり大事なことじゃないかもしれない。 - 烏は歌う


声の大小・強弱「で」どう表現するか、声の大小・強弱「を」どう表現するか - 烏は歌う


要約。


声量・音量ってのは、音程とかリズムとかに比べて非常に「曖昧」なもので、「相対的」なもので、「感覚的」なものだし、環境にも大きく左右される。
だから「絶対的な声の大きさ」より、「聞いている人にどう聞こえたか」が大事。
そのためには、「声の大きさの絶対値」自体より、「音量の相対的なコントロール(強弱の幅をつけること)」や「音量じゃなく声質などによって強弱をつけること」の方が大事だったりするし、環境を整えること、環境に応じて声をコントロールすることも大事。


「この人の声量SUGEEE!」みたいに思った時、実際にものすごく大きな音が出ている場合もあるけど、声のコントロールが上手いから実際以上に声量があるように聞こえるという場合もすごく多いよ。
オペラ歌手でも目指すなら別だけど、絶対的な声量には個人差やら生理的限界やらがあるから、後者を目指す方がスマートじゃない?前者も前者で尊敬するけどさ。
特に、マイク通すんなら声量の絶対値を大きくしてもあまり意味がないので、「地声の大きさ」は大したアドバンテージにならないし、もっと他の能力を磨くことを考えるべきかもね。
というのが近年の私の立ち位置だよ。


で、今回の話。


特にオンマイクの音楽の場合、音響で「いくらでも」というと語弊があるけど、まあいくらでも音量を機械的に拡大できるので、「声量」自体はそんなにいらないわけですね。
まずはしっかり音響の方でバランスをとってやることが大事だし、その上ではじめて歌手の表現力やらが問われてくるわけ。


今回の話題の人に関して言うと、「声量無さすぎてこれじゃ歌手は無理」みたいなコメントが多々ついてたけど、「その歌い手の音量の最小域は消えかけ、最大域でも大して迫力が無い」ってのは、声量云々より音響セッティングどうなってんの疑惑ですし。
ヘッドフォンのボリュームをかなり上げて聞いてみて、「たぶん本来はこうだったのだろう」という状況を予想しながら聞いてみると、「声量」は全然足りてるかな、とはと思った。
だから、これは全然「声量」の問題ではないし、「声量」自体は歌手やっていけるだけあるよ、と私は思うのだ。


歌い手の問題としては、「声量」じゃなく心技体の「盛り上げ方」の問題だろうなーと私は思ってます。
あと、声がたまにちょっと不安定になったりすると、声の迫力はガクっと落ちるしね、それもあるかもしれない。


…別に、結果として「迫力不足」=「声量不足?」と感じるんだから「声量不足」でいいじゃん!と大方の読者は言いたいだろとそろそろ自分でも思うけれど、どうしてもその辺の言葉遣いには厳密・慎重でいたい、そうでなければ自分の声や歌に関する感覚は今以上鋭くならない、という思い入れがこのブログには有りましてね、昔から。
ああめんどくさい、俺。


もちろん、歌に問題が無かったとは言わないし、「もう少し歌の構造をしっかり歌えていたら!」「あと数箇所で声の太さと音程が安定していれば!」と、「たられば」だらけの演奏であったことは確かですが、割とトレーニングで簡単に実現可能な「たられば」ばかりではあるし。
その「たられば」を超えた先の可能性を知識と経験から導き出してプロデュースの可否を出す、その選択に自分自身を賭ける、というのが未来のプロを発掘するというミッションを持った審査員に必要なことでしょう。
特にまあ、今回のグランプリの人はあからさまに不当なバッシングを受けてるけど、「原石」としての質は相当なもんだと思うし、選ぶ審査員の意図も胸が痛くなるほどわかるんだよ。
…ただし、「アニソングランプリ」でそれどうなのよ、と言えば、前回同様に相変わらず何も言えねえし、余談に続く。


余談。(声量の話が読みたい人は以降見る価値無し。)


私がこのブログでちょくちょく引用する作曲家兼合唱指揮者の長谷部雅彦氏の言葉を引用すれば(困ったときの著名人頼み)、
Hasebe's Home Page - Essay 不公平な審査(02/2/23)

審査員の審査は絶対なモノとして「とりあえずは」受け入れなければいけないのだと思います。感情論に陥れば、落としどころのない非難合戦にしかなりません。数値がはっきり出る結果ならいざ知らず、審査員の主観的評価が影響する競技であれば、まず審査に従うことが競技のルールなのではないでしょうか。
もちろんこれは原則論です。審査に問題があるなら、どういった審査をすべきか、どのように審査員を選ぶべきかなど今後の審査のあり方を検討して、次回の審査に反映させるしかありません。不満に対して率直に対応し、次回からその検討結果を反映することは必要なことです。それでも、そのときの審査は一度審査が下ってしまった以上、絶対的なものであるとするのがやはり正しいことなのだと思います。

という態度しかないかなー、とは思う。
とりあえず、大会の運営とかに意見を言うのはいいと思うけど、勝者や審査員を汚い言葉で貶せば貶すほど、君等の愛した大会も業界そのものも衰退するよ確実に。
(届かないのに叫びたくなる夜もある。)


あとはまあ、第6回でしたっけ、アニソングランプリ。
そろそろ、大会の意義・評価の軸をそろそろ確立せねばヤバイ時期に来ているということではないでしょうか。
結局のところ、「プロの卵」が欲しいのか、「最も上手いアマチュア」を決める大会なのか。
「プロの卵」を取るにしろ、「原石」が欲しいのか「即戦力」が欲しいのか。
プロデビューを狙っていける素材がいなかったらどうするのか、とか。
「最も上手いアマチュア」を決めるにしろ、それこそ様々な形態や評価軸や価値観が入り乱れるアマチュアアニソン界(そもそも界として成立してんのか)に公平な審査など有り得るのか、とか。


…個人的には、「ハモネプ」みたいに、「アマチュアNo1決定戦」で「できる限り納得のいく有名審査員揃えて、審査員は審査&コメントするだけ」「プロデビューは目をつけたプロダクションが大会とは独自に」って感じにして、
「アマチュアの祭典!一緒にアニソンで盛り上がろう!(※プロのスカウトも見てるよ)」
くらいにした方がいいんじゃね?とは思う。
「毎回グランプリがプロデビュー」って、正直キツイと思うんですよー、だって、もっとメジャーで競争率の高そうなハモネプですら14回やってプロデビュー5組(解散→ソロでデビューも入れると7組)らしいですよ。
今のまま「毎回グランプリがプロデビュー」形式をやり続けるなら、参加者の母数をもっともっと上げる必要があるわな。
それこそ、有志のアマチュアだけでなく、セミプロ・ハイアマチュア・同人あたりで密かに名が知られてるあたりを尽くさらってくるレベルで努力しないと、そんな毎回「プロデビュー向けの才能を持ってて、かつアニソングランプリという大会を盛り上げられる存在」なんて出てこないっすよーJK、と思うのですがどうなんだろう。
「原石発掘企画」なら、なおさら「グランプリでNo.1を決める」形式には合わない気がするので、それこそ予選は今のままでも本戦は「スタードラフト会議」形式にするとかさ(それにしても、やっぱり参加者数は増やす必要があると思うけど)。


ここから、余談の余談。
音楽の評価やグランプリ・コンクール的催しものは難しい…という話だけど、まあ、余談の余談として、私が現在は所属している(とは言えかなり端っこの方だけど)「日本アマチュア合唱界」の話をしようか。
マチュア合唱界での競技会…いわゆる「合唱コンクール」は、「全日本合唱コンクール」というものがいわゆる「甲子園」的存在というか(大人も出るから「天皇杯」?)、年に一度のこのコンクールがある意味「絶対的な権威」になってますね。
全国のアマチュア合唱団の多くが参加するという規模の大きさ、音楽的にシビアで公平な評価…などから、コンクールを活動の中心に据えてる合唱団も多いですし、日本のアマチュア合唱はこの「全日本合唱コンクール」を抜きにしては語れないなあ…と思う程度に絶対的な存在。
その一方で、根強い「合唱コンクール悪玉論」もあるわけです。


ただコンクールだけを頭に入れてシビアに技術やらを突き詰めていった結果、「競技合唱」「音楽ではなくスポーツかマスゲーム」と揶揄されてしまうような、狭い音楽観・芸術観の世界に囚われてしまいかねないこととかさ。
Hasebe's Home Page - Essay 未来の合唱コンクール


「様々な価値観を持って活動しているアマチュア合唱団を一律な価値基準で序列化するのにいろいろな障壁がある」こととかさ。
Hasebe's Home Page - Essay 合唱コンクール悪玉論(00/9/3)


プロデビューとかの「利害」が一切なくて、「公明正大な評価」が行われていても、やっぱり不満とか諸々とはイタチごっこなわけです。
じゃあ逆にフェスティバル方式にして、観客の投票で決めたら?みたいに考えてみると、それはそれで「合唱人ばかりの投票なら、結局無難で技術の高さが客観的にわかるコンクールウィナー的なとこが勝って意味なくね」「素人評価を重視したら、せっかくの技術や高難易度の歌も持ち腐れる可能性があるし、納得できるかなあ」などなど、不満とか諸々とのイタチごっこは確実だろうなあ…。
かと言って、「評価なんてしない!みんな楽しく!」だけだと、なんというかハリが無いし。
…本当に、音楽の評価って難しいし、そういう場の運営をするのはもっともっと難しい。