声の「響き」という言葉について。

ボイトレにおいて、「声の響き」だとか「響かせる」という言葉は、なかなか一筋縄ではいかない難しい言葉でして。


大前提


何度も書いていることですが、

人間の場合、「呼吸」によって「声帯」が振動して、そこで鳴った音が喉や口などで「共鳴」することで声になる

というメカニズムで発声しています。


それで、この「共鳴」という過程がとても大切。
声帯が振動して鳴る音は、とても小さく、かつ味気のない殺風景な音色しかしない、と知られています。
声帯原音だけ聞いても、それは「声」とは呼べない代物だそうです。
なので、この「共鳴」という過程で音量を大きくしてやり、また、個性的な成分をつけてやることで、はじめて私達が「声」と認識する音になります。


そして、この「共鳴」が上手くいっている声を、「響きの豊かな声だ」「よく響いている声だ」と言ったりします。


また、この「共鳴」という過程において、「響かせ方」に色々と変化を持たせることができます。
例えば、「あいうえお」と私達が言うとき、普通は口の中や唇の様子を変えますが、これによって声の「響かせ方」が変わり、それによって母音が変わって聞こえるのです。
また、口をほとんど開かずに鼻にだけ響かせたり、逆に鼻に声が全く行かないように発声したりすると、声質が大きく違ってきますね。
あとは、よく「あくびのときの喉で発声すると良い」と言われますが、これは、あくびのときは喉の奥の軟口蓋というものが上がって喉の奥の空間が広がり、共鳴しやすくなるからと言われています。
そのように、喉・口・鼻に響かせるバランスを変えたり、舌や唇などの調音器官と呼ばれるものをコントロールすることで、「響き」をコントロールすることができます。


「響き」とは言われるが…


一方、実際の声の「共鳴」とは関係の無い感覚や現象にも、「声の響き」だとか「響かせる」という言葉が使われることがあります。
というか、非常に多いです。


声を○○に響かせるとか、当てるとか。 - 烏は歌う

ボイトレ初心者が「どういう意味かわからない」「どうしていいかわからない」という感じで困りやすいのが、
「声を頭のどこどこに当てて!」
「声をもっとどこどこに響かせて!」
とか言う指導です。
…私の経験談と周囲の人の伝聞調べ、ですが。

で、医学やらなんやらの進んだ現代、色々調べてみたところ、
「頭に響かせようとした声」と「胸に響かせようとした声」の違いは…
実は、声帯(と、まわりの喉頭やらの筋肉)レベルで違いが起こっていて、身体の各部位の共鳴具合にはたいした違いは無いということがわかっています。
ぶっちゃけると、胸に強く響いてるとか、頭頂部から声が抜けていくとか、気のせいというか感覚の問題。
胸に響かせようとしたり頭に響かせようとすると声の感じが変わるけれど、それは「共鳴の様子」が変わっているのではなく、そういう風に「しようと思う」ことによって、声帯や喉周辺の筋肉の運動の様子が変わり、声質が変わってくる…という流れが正解のようです。

例えば、
・声を胸に響かせようとする、当てようとする
→特に、喉というか首の前部の、「喉仏(喉頭や声帯)を前・下方向にひっぱる筋肉」がよく働く

使い分けの問題


で、この2通りの「響き」の存在が、結構な混乱の元になっているのではないだろうか、と思うことが多いのですよね。


・物理現象の「共鳴」である「響き」
・イメージの持ち方としての「響き」
の2つが混在してる。
で、この2つは、「完全に別物」ってわけじゃなく、むしろ多くの部分が重複しているのが問題をより難しくしているように思うのです。
実際、前者を変えようとすると後者が「変わることもある」感じですし、後者を変えようとすると前者も「つられて若干変わる」のは確かですし。


で、例えばボイトレ界隈には、
「発声は『響き』が全てなんだ!」vs「『響き』とか未だに信じてるやつは時代遅れ」
みたいな対立があったりしますが(前者はクラシック声楽系に、後者は現代的なボイトレに多い)、要は、
・イメージの持ち方としての「響き」を変えようとすれば、実際に声がよくなってきたんだからそれでいいじゃん!(保守派)
vs
・イメージの持ち方としての「響き」の方は、あくまでイメージの話なんだから、正しい理解をしないと良いトレーニングにならないだろ!(革新派)
という対立なんですな。


ちなみに私のブログでは、割とごっちゃにしつつも、ときどき分ける、という「自称中立」的な一番都合の良いポジションに立ってますなあ。
いいかげんー。
あんまり細かく書きすぎても逆にわかりにくくなってしまいがちですし、かと言ってごちゃまぜにしすぎると確実に誤解が生じるのでバランスの取り方が難しいところ。
たまに見返さなきゃいけないなー、と思う次第でございました。