たまに「じゃあお前にできんのかよ」と思ってしまうのが人情です。


今日ホッテントリになってた増田を読んで思ったこと。


まともにトラップもできない“にわか”は黙ってろよ


要するに、「サッカーをやったこともないような人が、サッカーの『にわか評論』をすること」に対する、違和感というかイライラについてのお話。


個人的にはこう思う。


どんな分野であれ、そのパフォーマンスを語るのに、「経験者である」とか「こんな苦労をした」とか、そういった「資格」めいたものは必要なく、だれでも好きに語る権利がある。
「経験者以外語るな」ってのは最悪。


しかし、何かを「意見」として表明するならば、それを聞く側にもそれに反対したり反論したりする権利があるし、そこまでせんでも、その意見にイライラする内心の自由くらいはあって欲しい。
「経験者以外語るな」ってのは横暴だけど、「素人の意見なんだからどんなに間違ってて、下らなくて、リスペクトを欠いてても経験者は広い心で許せ」って風潮も激しく横暴だよなー。


こういう時にこそ、この画像なんじゃないだろうか、とは思った。
藤子・F・不二雄氏が描いた「表現の自由」を表す1枚の画像が的確だと話題 - feely


あと、その「意見」が正しいかどうかは、「意見が正しいかどうか」によって判断されるべきで、素人だろうと正しいことを言えば正しいし、経験者だろうと間違った意見は間違ってる。
語る人の「属性」は関係ない。


あと、これは余談だけれど、思考がタコツボ化しがちな熟練者にとって「普段見ない人だから感じるナニカ」という批評がイノベーションを起こすこともあるので、そういう意味でも「素人は語るな」というのはアカン。


しかし、「ある程度やってる人間でないと正解がわからん」感覚というのはあるわけで、素人というのはだいたい間違う。
現実にはあり得ないこととか、とっくにやってることだとか、いわゆる「先人が誰しも思いついてたけど敢えてやらなかったこと」を提案したちゃったりする。
評価基準があり得ないレベルで高かったり、逆にできて当然のことができてないのを見逃してたり。
そういう間違った意見を言ってはいけないとは言わないが、それを聞いた人にだってそれを批判する権利があるってことは忘れちゃいけないし、「批評返し」を食らいたくなければ、その意見を発信する前に少し色々と思いとどまる必要がある。


そしてニワカ批評を逆に批判したい人は、「俺が経験者でお前はニワカだ」という権威主義的態度ではなく、専門的な知識・経験を生かして「その意見のここが具体的にこう間違っている」という態度で指摘していくべきだと思います(モヒカン族感)。


あとはなあ、「ニワカ批評が気に食わないなら、自分がもっと正しくて面白くて魅力的な批評を発信していけばいい」という考え方もあって、ブコメとかでも少し言われたりしてたけど、そして私も少しそう思ったけれど、その意見って要するに「○○できないやつは黙ってろ」論につながっちゃって思考がグルグル。


ここで身も蓋もない話にしちゃいますと。


まあ、そもそも「ニワカ批評」ってやつのほとんどが、「意見を言いたい」わけではなくて単に「何かをけなして気持よくなりたい」「何かを知ったかぶって気持ちよくなりたい」だけのノイズだったりするので、そういうものからできるだけ心を遠ざける技術が必要って話かもしれません。
キャプテン長谷部も「心を整える」のが大事だって言ってるしさ。


というわけでレッツ仏教。