社会学者が合唱コンクールについてつぶやいたら炎上したので。

アウトサイダー合唱人な私にとっては、どっちの立場もわかるのでなかなか面白い炎上騒ぎであった(対岸の火事感)。


※色々と追記してもまだ誤読が多いのでさらに追記して明記しておくと、
・この記事の本題である「表情」云々の話は、元ネタの古市氏の一連のツイートから見たら「傍論」ですよ!
・色々な方向に燃え上がっている中で、「脇で盛り上がっている話題」「横で色々つぶやいている人々」が面白かったからまとめたんだよ!
・古市氏が「表情の話」をメインにしていないことなんて、知ってるよ!
・古市氏の元ツイートは記事の最後に追記したよ!「合唱の人は整形した方がいい」なんて言ってないのは(私がリアルタイム&現在確認した範囲では)確かだよ!
・そのこと(整形しろって言ったか言ってないか問題とか、古市氏の本来の問題意識)と、「この記事の本題」である「合唱っぽい表情についての話」は全く関係ないよ!


発端


だそうなので、きっかけのツイートはもう存在しませんのです。
前後は残っているので魚拓るほどでもないかなと思います。


※前後の流れに色々と誤解がありそうなので、最後に少し追記しておくことにした。


興味深い流れ


前後の流れはまだ残っているのでそれはそれで見てもらうとして、古市氏の設定した本題とはちょっと離れたリアクションである、このツイートからの流れが面白かった。


このツイートに合唱指揮者の黒川和伸氏が反応。


…まあそうなんですわなー。
このあとは、なぜそう言えるかの根拠であるR.ミラーの著書の引用が続く。


ちなみに、関連して飛び交ってたRTの中で、私の感想に一番近いなーと思ったのはこの辺。


なぜこうなってしまうのか


本当は「学校部活系の合唱コンクール特有のそれっぽい見た目全般」の話だったんだろうけど、なぜか「表情」の話が(歌に興味あるクラスタの中では)特に注目されていった模様。
古市氏が話したかったのはたぶんそこじゃないだろうけどね!!(大事なことなので追記しました)


そんな中で、
「あれは上手く歌を歌うためには仕方のない表情なんだ!」
という意見があり、それに対して合唱のプロから
「あの表情は、日本の合唱教育の最大の問題点なんだ!」
という意見あり、と、話が面白い方向に脱線してくれて、とても面白い話が聞けました。
(この辺は、もはや古市氏置き去りで好事家で盛り上がってる模様。)


なんで日本の合唱教育がこんなことになってしまうかというと、こんな感じかなあ。

部活に限らず、現代的な教育方法や評価メソッドやマニュアル策定方法が取られてない「職場」とかでも、だいたいそんなもんだよなあ。
大人同士ですらそういう場合が多いんだから、況や子供相手ならば。


またね、「表情」って、あらゆる発声システムの中で、一番「わかりやすい」んですよ。
実際やってみせやすいし、できてるかどうか簡単にチェックできるし、多人数にも一気に教えられるし。
だから、
「発声システムへの知識はないけど、表情なら教えられるぜ!」
「色々と説明すると長くなるから、とりあえず表情から作っていこう!」
「内部(声帯、喉頭、共鳴腔…)を直接コントロールすることができないけど、表情をなんとかすれば内部も間接的になんとかなるだろ!なってくれ!」
みたいな感じになりがち。
で、そういう人に教えられると、「表情こそが発声の基本!」みたいな弟子ができるわけですよ。
で、その弟子がいずれ師匠になるわけですよ。
で、どんどん「表情」に関する教えが凝縮されたり余計な枝葉がついたりして、いわゆる「ドグマ化」「教条主義」になってしまう感じ。
で、「本当にそれで良い声になるのか」とか根本的なところから目を背けて、いかに「それっぽい顔」になれるかを競う状態になってしまっていますね、と。


発声の「入り口」として「表情」を使うのは悪くないようにも思うんだけど…後々の誤解を防ぐためには、かなり注意してやらなきゃならないんだなあ。


もちろん、表情をコントロールすることが「さっぱり無駄」というわけではありませんし、正しくやれば効果はあります。
しかし、あくまで「間接的に効く」ものだから「表情が全て」みたいになってはいけないし、やり過ぎや間違った方法は悪影響があるので気をつけなければいけないという話です。


私も、昔はとにかく「表情大事!」って感じだったけど、最近はよっぽど表情が死んでたり不自然だったりしない限りは何にも言わないことが多いし、表情についてなにか言うときも「自然に」「軽く」このような表情をした方がいいんじゃない?と言うことが多いな。
まあこの表現もちょっと卑怯ではあるんだけど。


個人的に気に入っている言い回しは、
「愛想よく人の話を聞くときの顔をしなさい」
というやつかな。


聞き上手は声美人!〜「愛想良く人の話を聞く」と、良い声が出せるようになる3つの理由〜 - 烏は歌う


この記事くらいの書き方だと、「科学ベース」というよりは、かなり学校合唱的な概念寄りかなーとも思ってる。


この状態を基本に、音楽や歌詞にあわせて絶妙に表情を変化させていけるといいよなーと私は思います。
思いっきり顔芸をしながら歌うのも好きなのだが、あんまり表情を激しく動かしすぎる歌い方は他人にはお勧めできない。


ただ、少なくとも表情について「変顔」で「固定する」ってのはダブルでおかしいよな、と。


R.ミラーの言葉


せっかくなのでメモ代わりに紹介。


今日の一言


Togetterでやれって言われそう。


今後の課題(ブログ筆者として)


余談気味だが、現代的な発声学の常識だと、
”鼻音性の音素の場合を除くと、鼻腔は喉頭ー口咽頭部の共鳴器システム(声道)とは関係ありません。”
…ということなのである。


合唱界隈では未だに「鼻腔共鳴は非常に大事」という古い常識を引きずっている人も多いのだが、実は「鼻腔共鳴」って発声にほとんど関係ないというか、「鼻腔共鳴ガー」って指導は実は最近の知識からみたらけっこう非科学だったりするというか。


このブログでも、
鼻腔共鳴は大事だよ(ということに業界ではなっているよ)
→鼻腔共鳴は大事らしいよ(ただし、鼻腔共鳴が実際に起こっているわけではないという説もあるよ)
→鼻に響かせ「ようとする」(実際には響かない)と良いという指導法もあるよ(それはこういう場合に有効で、逆にこういう場合には効果がなくて…)
くらいに、徐々に後退した表現になっていっているんだけどさー。
私が徐々に合唱からアウトサイダーになっていくに連れて徐々に表現も変わっていってるわ。


いっそ大胆に書き換えてみるべきか。


追記


一部では私が思っていた以上に深刻な炎上の仕方をしていたようですね。
インターネットおっかねー。
なので、少々流れを私なりに整理しておきたいと思います。
本文とは関係ないっす。


RT以下が発端のツイート(本体は既に削除済)

合唱コンクールを見た失礼ながらまあ素直な感想


↑話が「学校空間」に拡大


↑話がさらにさらに拡大して「近代社会」の一般論に、もはや合唱コンクールの話題からはだいぶ遠ざかっている
(「整形」という言葉は私が確認した限りではこのツイートのみ)


…という流れなのに、これがまとめサイトにかかると、
「なぜ整形が一般的にならないのか。中学生の合唱コンクールの子たち、顔の造形がありありとわかって辛い」
と、煽り力満点のタイトルになっちゃってるわけですよ。
(論の妥当性は置いといて)話の流れを追ったら直結はさせちゃいけないところを、がっちりくっつけちゃってる。
もっと酷い改変っぷりのも見かけたような。


ブコメにも
”炎上した理由は「表情」じゃなくて「なんで整形しないの?」って言ったことじゃないの?(id:apricotbarley)”
”元のツイートは「自分があんなブサイクな顔で全国放映されたら嫌なんだけど、整形の自由とかないのか?」的な意味だったと思う(id:kotobukitaisha)”
というのがありましたが、それはちょっと上に上げた一連の元のツイートとは流れが違いますよね。


「(一般論として近代社会では、特に日本の学校教育的文化では)なぜ整形が一般的にならないのか」←元ツイート
というのと、
「なんで(このブサイクな子達は)整形しないの?」←一部で出回っている解釈
というのは絶望的なくらい意味が違うよ。
で、こういう曲解による炎上ってのは本当に見てて恐ろしいんだ。
俺が今ここでどうこう言ってどうなるものでもないんだけどさあ。


そもそも”もっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う”ということに関しては、俺も
「先生、その考えはちょっと単純すぎませんかー(もうちょっと考えてから発言してもよかったんじゃない)」
としか思わないんだけどね。