いわゆる「合唱っぽい顔」について


前回の記事について、急に加熱したアクセスも落ち着いて来たので、反省・補足エントリを書いてみる企画その1。
「学校教育における集団活動の思い出(「合唱」も含まれる模様)」は、はてなーのトラウマスイッチを踏んでしまい極端な議論を呼び起こしやすいというポイントを忘れていたのは私のなによりの失態である。


「合唱っぽい顔」とは何か


ここを想像に任すと話しが一向に収束しないだろうと思ったので、自分なりに整理してみよう。


歌うときは…
・大きく目を開いた方がいい
・鼻の穴も広げた方がいい
・口も縦に大きく広げた方がいい
…などというような指導を
「予防的に」
「できるだけ」
「全部盛りで」
って感じでやり込むと、いわゆる一般的に「合唱してる人に特有な顔」というものにたどり着くんじゃないかと思います。


つまり、「顔中の、穴という穴を全開にすることが理想となる発声法」のこと。
※あくまで誇張的表現
そりゃ「不自然な顔」になるわ。


口の開き方については、「無闇矢鱈に開けてもいいことないぞ」というのが広まりつつあるけど、一方で、「口角を上げるといいらしい」とか「口をとにかく縦に開くといいらしい」みたいな情報も根強く、不自然で引き攣ったような口の開け方をしながら歌っている人はまだまだけっこう居るように思います。


これに加えて、
・良い発声のためには、顎を引かなければならない
・良い発声のためには、目線を下に向けてはならない
みたいな考えが加わり、
「顎を引いて顔は下向きなんだけど、なぜか上目づかい」
…などという要素が加わってくることもあるんだけど、こうなるともう最悪ね。
少なくとも、「自然な表情」にはなりえない。


ブコメを見るに、「確かにこれやらされたわー」みたいな意見もあれば、「部活合唱ではこんなことしてない!」みたいな意見もあり、なんとも言いがたい感じではあるが、結局のところ「中途半端に真面目に合唱やっているところなら、部分的になら、なんとなく経験がある話」なのではないかと思った。


はてなーの感想を見る限り、合唱の深淵からは遥か遠い「校内レベルの合唱コンクール」でこの表情をやらされたぞという人もいたし、自分ではやってないけど、部活合唱の頂点である「Nコン」や「全日本合唱コンクール」のTV放送を見て「合唱の人ってなんでこんな顔で歌っているの?」と思った人も多いようだ。


部分的に、以上のような「○○を開け!」的なことを言われたことのある人は多いのではないかと思う。
合唱関係の入門書を覗いたなら、だいたいどれも書いてあることだ、とも思う。
しかし、それを「やり過ぎ」たり「全部載せ」しようとしたりすると、ロクなことにならんぞ、という話なんです。


それは全く無駄なものなのか


前回も書きましたが、表情をコントロールすることが「さっぱり無駄」というわけではありませんし、正しくやれば効果はあります。
しかし、「やり過ぎ」や「間違ったやり方」は発声によろしくない。


そりゃね、目を半開きで歌うよりは、目をある程度大きく開いた方が、良い声(と言うか、よりマシな声)は出やすいです。
口も、ほぼ開いていない状態よりは、無理矢理開いてしまったほうが、良い声が出やすいです。
鼻の穴も、できるだけ開くようにしてやったら良い声が出る可能性もそこそこあるんです。


でも、「やり過ぎ」はマイナスにしかならない、という話で。


ブコメに「あれはテクニックを1.2年で手っ取り早く手に入れるための基本フォームくらいだと思っていた」というのがあったが、まあそういう感じで正解です。
上手く使ってくれる分には、いくらでもやってくれて構わないんだけど、これを「理想型」「完成形」と思ってしまうのは大変危険である。


なんというか、あの表情は例えるなら「補助輪としては非常に優秀」なんだけど、つまり「大筋を習得したら可及的速やかに外すのが当然」「本番までに外しましょうね」的なものなんだけど、いつの間にか「いかに立派で大きい補助輪がたくさんついているかを競い合う状況になってませんか、合唱コンクールというのが、合唱コンクールやそこで行われている指導に懐疑的な立場の人の考えだと思うなあ。


「(限度はあるけど)ある程度開いた方がいいよ!」という教えが、いつの間にか「開けば開くほど良い声になるよ!!」みたいに捻じ曲がるのが問題。


合唱界隈における実態に関するヨタ話


奥田英明という小説家兼コラムニストが、某コラムで、高校野球について話していましたが…。

延長戦に入りました (幻冬舎文庫)

延長戦に入りました (幻冬舎文庫)

要約すると、
高校野球を見るのは、地方予選が一番おもしろい」
「なぜなら、甲子園の本戦には『クソ真面目』で『模範的』なチームしか残らないが、地方予選は本当に個性豊かだから(変なヤツ、とんでもない試合が盛りだくさんだから)である。」
という感じの内容がさらっと一部に書かれていまして。


合唱もだいたい同じで、
「中堅(というか、努力に努力を重ねてトップコンクールに出場している団体)は、だいたい熱心に『そういう表情』を『クソ真面目』にやっている」
「トップコンクールに当然出るレベルのトップグループは、そういうのに熱心な団体もあれば、そういうのの無駄さを理解して個性豊かな団員だらけのところも稀にある」
「そういうコンクールに出られない合唱団は、熱心にそういう表情を意味もわからないまま『とりあえずできる』教育法としてやっているところもあれば、『自由にやって!好きなようにやって!』と言ってロクな教育をしない団体も多い」
とかいう感じかなーと思います。


総合的な見た目に関してもだいたい似たようなもんで、古市とか言う社会学者が「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う」とか言っていたけど…。
Nコンとかに出てる合唱部のほとんどである「全国平均から見て中堅〜上位クラスの実力で、努力で出場切符を勝ち取りました系合唱団」はガチガチに「いかにも中学生らしい」格好していることがほとんどだから、そう思われても仕方ない部分はあるかなーと思ったりしたのよ。
けれど、「コンクール常連上位の実力を持った上で自由過ぎる校風の進学校系」や、「コンクールに出られないで地方予選で確実に消えるレベルの下位合唱団」だと、ある意味「いかにも逸脱した中学生らしい」染髪・調髪・化粧・華美なファッション…とか、なんでもありな見た目の子どもが歌っているを見たりできるよ!(体感)
だからそっちも見てね!…という感想もある。


こういう指導をどういう人がやらせるかというと


こういう指導はね、「全然わかっていない人」もやるんだ。
ブコメから引用すると、”まともに歌唄えない指導者に限って、分かり易い(自分でもやってみせられる、そして、殆ど科学的に無意味な)表情コントロールから入る”という流れはもはや定番である。


だって、何もわかんねえのに、教育としてやるからには「目標を立てて」「評価する」というプロセスは絶対だからね。
ここで評価不能の目標を立てたらどうしようもないから、「表情」を通して「真面目にやっているか」を測ったりするのよ。
こういうプロセスで、「本質とは関係のない要素のドグマ化」というのは起こりやすいから注意が必要。


でも、これは「全然わかっていない人」だけの問題かと思いきや、そうではないんですよ。
”音大で声楽学んだ音楽教師がやらせてたりするのが更に謎”ブコメより)だったりするんだ。
こういうパターンは、たぶんその人もそういう指導を受けてきてしまったのだろうな、と想う。


常々、
「考えるな、感じろ!」
「教わるんじゃない!見て、経験して、盗め!」
「そこはもっとパーンと!それでいてスッスッと!」
…みたいな、職人的というか経験主義的というか体育会系カルト的な教え方は、
「100人の弟子が居たら」
「1人の本物と」
「9人の知ったかぶりと」
「90人の脱落者を生み出す」
…と(喩え話として)言っているんですが、「表情」や「○○に響いている感覚」とかは、まさにこの「職人的教育」に当たるわけで。


声楽を学んでまでこんなにアバウトな教育しかできないってことは、要するにその人がそういう「職人的教育」を受けてきて、「それだから」「それでさえ」成功できた「本物」の一人なんでしょうな、その人は。
そういう人は、やっぱり、一人の「本物」と、それより多い「知ったかぶり」と、それよりずっとずっと多い「脱落者」を生み出すことでしょう。
そういう職人的、感覚的教育は天才には理解可能なので、自分が受けてきたそういう教育を施してもさっぱり理解できない生徒と出会っても、「なんでわからないのかわからない」状態になるのはよくある話。


そういう環境を変えるには、誰かが気づく必要があるわけでして。


これは日本の学校教育特有の問題なのか


Twitterの返信コメとかブコメに、「これは日本の音楽教育に特有の問題なのか」という質問が書かれていましたが(エアリプっぽかったので直接返信はしないけれど)、これは別に日本独自の問題ではありません。


というよりは、
「西洋の伝統的な発声方法(特殊な表情を固める手法含む)が伝わり、広まっている」
「西洋の革新的な発声方法も部分的に伝わっているが、あんまり広まっていない」
という感じかと。
ただ、日本人特有(?)の真面目さ(?)のせいで、古いメソッドが変な方向に煮詰まっている可能性はあるかもね。


欧米のボイトレ本とかでも(私は訳本しか読めないけど)、「古い非科学的メソッドに縛られている業界」を嘆いている節はたくさんあるので、欧米でも似たような問題は起こっているとは思うよ。


なので、別に「日本の教育が特別に悪いから」というわけではないだろうから、あんまり勘違いはしてほしくねえなあ、とも思う次第。
むしろ私は、日本人の音楽教育レベルは高い方だと思いますよ、色んな意味で。


「クラシック」は伝統技能という側面もあるので、「ひとまず科学的な正誤は置いといて」「今までなんとなくやってきたことを継承していくもの」、という側面もあるわけでして。
「学問的にこれは効率が悪いから別のやり方の方がいい」みたいなことを言われたからと言って、みんながみんな瞬時にすんなり変えられるのは、それはクラシックじゃないだろうとも思いますし。
もちろん、新しい知識を貪欲にすぐさま取り入れちゃう人も多いですけれど。