「ありのまま」問題。


軽く燃えた後の振り返りエントリ、その2。


ありのまま、って難しいよね。
古市氏の例のあれは、考えの足りない発言だとは思うけど、テーマ設定自体はまあまあ面白かったと思うので、ダラダラと私が思うことを書いていく。
後半には、ずいぶん前に「MayJがやたらとネットで叩かれてるけどどうなんでしょう」というコメントを貰って、そのことをこの「ありのまま」問題の話をするうちに思い出したので、それについて書く予定。


例のあれ


表示ツイートは乙武氏のだけど、@ポエ以降が古市氏の元ツイートね。

”テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う。”


ブコメでも色々と言われていたけれど、「顔の造形がありありとわかって」「辛い」らしいので、別にブサイクだの醜いだのとは言っていないんだよ。
(ただ、まあ、これだけ不用意な「誤解の余地の多い言葉遣い」を簡単に、わざとなのか無意識なのかはわからないが露悪的にしてしまうあたり「評論家」ポジションは致命的に向いていないし、炎上癖がつくのも当然だろうなあ、とは思ってる。)


顔の造形がありありとわかるとはどういうことか


Twitterの私のアカウントを知っている人は見たことあるかもしれませんが、私は髪型を丸刈り(6mmがジャスティス)にしてるんですよ。
主にファッション的な理由と、手入れの簡単さという理由で。


で、頻繁に
「頭の形がいいから坊主頭にできるんだよね」
…と、褒められているんだか何なんだかという感じのことを言われる。


言われてみれば、坊主頭は頭の造形がありありとわかる髪型と言えるかもしれない。
坊主頭より短髪のほうが、そして短髪よりも長髪やパーマやワックスでセットした髪の方が、頭の造形をごまかせる髪型と言えるかもしれない。


そして、髪型でごまかせる、というかバランスを整えられる要素って、考えてみるとけっこうたくさんある。
例えばホスト風ヘアースタイルってあれ、
「前髪を長くし、斜めに分けて顔の両サイドに沿わせることで、輪郭を隠す」
「前髪より上を真っ直ぐに高く立て、サイドをハネさせることで、頭部全体のシルエットを菱型にする」
「後頭部も後ろに向かってたてることで、日本人に多い扁平頭をごまかす」
…などなど、まあ手っ取り早く「雰囲気イケメン」になるためのテンプレだよね。


他にも例えば、一部アイドル業界とか「触覚生やさないといけない決まりでもあるのかよ」ってくらい顔のサイドに毛束を垂らす髪型が流行ってましたが、あれも結局輪郭ごまかすテクニックだし。
なんとなく調べたら、ハロプロは触覚ダメらしい。
ハロプロでは「触角ヘア」禁止令が出されていた!? スマイレージ和田彩花が「ここの毛を出すと怒られる」とボソリ | カラフル x ハロプロ


メイクなんかもまあ色々と顔の構造をごまかす手段として「も」使用されておりますわな。


そういった「ごまかし」を一切許さない髪型&ノーメイクは、大人になるとなかなかできない、とされている。
特に女性はそうだよね。
「大人の女は、人前に出るときに化粧するのはマナー」みたいなことすら言われているのを見ると、大変なんだなあ、と思う。


しかし、子どものうちは、特に「学校空間」や「合唱コンクールのような行事」ではそういった化粧はご法度だし、髪型なんかも極力シンプルで何もごまかさない「ありのままの顔」がわかる状態が模範的とされているんだよね。
「大人と子どもでこれだけ価値観が逆転するのもなんかおかしくね?」と思うのは、素朴な疑問としてはよくある感じなんじゃないか。


また、「整形云々」は、この「子どもは見た目をごまかすようなことをしてはならない」→「けど大人はある程度見た目をコントロールしなければならない」→「けど、整形はダメ!」という風潮に対して、じゃあなんで整形はダメなんだよ、と素朴に反発する、よくある反応に過ぎないと思う。
リリー・フランキーのコラムでも、
「変なコンプレックス抱えて生きるくらいならガンガン整形しろ!」
「どうせ整形しなくても、ヘアメイクに化粧に…と既に何工程も手が入っているんだから!」
的なことを言っていた気がする。

女子の生きざま (新潮文庫)

女子の生きざま (新潮文庫)

(まーこのコラムも真面目に読まれるとセクハラとかで訴えられそうなレベルの内容ではある。リリー・フランキーだし。)


モヤモヤ考えていること


単純に、「もっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う(小並感)」ということなら、「余計なお世話です」で終わる話である。
「なんでこんなに顔の造形がありありとわかる髪型やノーメイクな子しかいないの?」「これはなんか強制されているの?」「テレビ出るんだし、もっとオシャレしたいんじゃないの?」「そういう子どもの気持ちを考えると辛いなあ」という話だと、少々受け答えは異なるかもしれない。


ただ、そもそも答えが出るものでもない。
そういう見た目について「強制されている」的なものもあるところにはあるだろうし、かと言ってそういう見た目を「気にせず」している可能性もあるし、「好きでやっている」可能性もあるし、一概に言えるもんでもないんだよなあ。


高校野球丸坊主問題」を少しややこしくした感じだと思う。


「強制なんてされていないよ」⇔「でも暗黙の圧力があるんじゃないの?」
「必死で活動しているから、オシャレとかどうでもいいよ」⇔「オシャレしたら活動の効率落ちるって無駄にストイックすぎない?」
「機能的だよ」⇔「それって本当なの?」
「俺が丸刈りにしようがお前には関係ないだろ」⇔「変な洗脳されてないか心配してるんだよ?」
…みたいな感じ。


ほら、お前らだって「高野連精神主義による、坊主頭に象徴される諸現象」について批判的なことをはてブTwitterでつぶやいたことがあるだろう?(誰に語りかけているかは不明)
私もよくやる、精神主義を止めろ!的なアジテーション
一方、私も前述の通り「坊主頭」なんだけど、要らん心配をされたり、謎の不快感を表明されたりするので、「放っといてくれよ!」と言いたくなる気持ちもわかるのだ。
だからこの問題、本気で考え出すと相当めんどくさいよ。


何らかの強制力が働いているなら、止めた方がいいに決まっているし。
上のハロプロの記事の中で、

前に「Rの法則」でSKEの子が番組内で急遽カチューシャつけることになったけど
前髪と触覚をあげるのが怖くて出来なくて拒否ってたら
結局ゲストの菜々緒が「じゃあ私がやります」って展開になってたぐらいだし

ってのがあったけど、一部の年頃の女子男子にとって「見た目」ってそのくらい大事なものだしな。
(アイドルだから商品価値の問題とかもあるだろうけど。)


実際に「なんかダサいから」「入ったら見た目浮きそうだから」という理由で合唱部を敬遠する人を何度も見聞きしてきた体験談もあるので、「見た目からもっと自然な感じにしたら」と言われるのは、けっこう思い当たるフシがあるのである。
思い当たるフシがあるから、余計に反発が強い、という側面もありそう。


しかし、本人達にはほとんど「何かを強制されている」感ってないし、そもそも「どんな見た目に統一されているのか」というのも自覚がないし、どうしろっていうんだよ、と言いたくなる気持ちも当事者サイドとしてはあるんだよな。


「中学の合唱コンクール」となってくると、高校野球における「坊主頭」のようなわかりやすいシンボルがあるわけでなはなく、(何らかの強制力があったとしたなら)とっても「ゆるやかな強制」が行われているわけで、敵がものすごく曖昧で、霞と戦うようなものであって、ものすごく辛い気がする。
それと、「中学生ってそもそもそんなにオシャレだっけ?」とか、「がっちがちに見た目を固めて合唱コンクールに出たとして、それは本当に本人がやりたいことなのか?逆に強制されていないか?」とか、そういった疑問も出てくるわけで、非常にめんどくさい。


「古市さんも社会学者ならその辺を自分で実態調べて、それなりにまとめてから世に問いやがれ」と言うオチでいいですよね。いいですね。


ありのまま問題


「ありのままの自分でいる」って難しいですよね、っていう話を、たまに考える。


全身を自分の好きなものだけでごってごてに飾り立てて、理想の姿になりました!私幸せ!ってのが「ありのままの私」なのか。
逆に、とにかく生まれたまんまの姿でいますよ、何も持ちませんよ、私ってこんなもんですよ、ってのが「ありのままの私」なのか。
どうも、どっちも違う気がするよね。


アナと雪の女王」のヒット以降、そういう話をブロゴスフィア(死語に近い)の至る所で見たんだけど、アナ雪見てないから参戦もブクマもしてねえや(そして未だに見てない)。


とりあえずこの記事面白かった。
女王の、「ありのまま」の、絶望的孤独 - 恐山あれこれ日記

ここで生じる決定的な矛盾は、「ありのまま」でいようとすると「自分」でいられなくなるという事実です(いわば、ある種の「自己疎外」的状況)。

「ありのままでありたい」という欲望の意味は、「いま自分であることが苦しいから、それから離脱したい」ということでしかなく、「自分であるために自分でありたくない」という究極の矛盾を言っている

MayJの話


で、今までの流れと関係あるようで全く無い、MayJの話をしようと思う。


単に「露出が増えたからアンチも増えた」というネットでよくある現象で、それ以上でも以下でもないとは思うんだけど。
それだけじゃ身も蓋もないので、ちょっとそれっぽい戯言を書いていくと、MayJと「Let it go」がちょっと相性悪かったかな、とは少し思う。


MayJはやっぱり「カラオケ採点対決でメジャーになった人」というイメージが強すぎて、「カラオケ採点対決」といえば、
「機械採点に最適化するために、歌い手自身も心を殺してマシーンとなるのだ!」
みたいなイメージあるよね。
で、それの第一人者ってことで、なんか「技術はすごいけどそれだけ」の人に思われがちな傾向あると思う。
歌が上手いのはわかったけど、ところで貴方自身はどんな人なの?って感想持たれがちだろうな。


実際、技術がしっかりしすぎているせいで「しっかり練習し続けていけば、誰しもだいたいこうなるんだろうなあ」という範囲からは外れない歌い方なために、「ところで貴方自身はどんな人なの?」ってのが歌を通して伝わってこない部分もあるかもしれない。


あと、売り方も、「カラオケ」と「カバー曲」で有名になっちゃったせいで、「ところで貴方自身はどんな人なの?」という感想持たれがちだろうし。
見た目もなんつーか「量産型いい女」的な感じで、「ところで貴方自身は本当はどんな人なの?」って印象を持たれがちだろうし。
そもそも「MayJ」って誰なんだよ、本名は何なんだよという印象が(橋本 芽生で、Jamilehっていうミドルネームらしいよ)。


と、とにかく「ありのままのお前っていったい何者なんだよ」という印象を持たれている状態で「ありのままの自分になるの〜」とか言われてもしっくり来ねーよ、というのがまあ一般層のありがちな反応かなーと思ったり。
有名になるタイミングと、プロモーションの広まり具合が悪かった感はある。


例えば、「実はJamilehっていうミドルネームを持つ、色々な国にルーツを持ったマルチリンガルのMayJだからこそ、Disneyのこの歌を歌う理由があったんだ!」みたいなストーリーを考えて広めてやれば、もっと反響良かったんじゃねーかという妄想。
歌手には「代替不可能性」ってやつが必要なのだが、今のMayJは「カラオケ歌唱マシーン」としか思われていない感があって、それって「代替不可能性」がゼロなためにあんまり重宝されない。
もっとキャラ立つようにプロデュースしてやって欲しいような。


”日本人は素人っぽさを好む、という言説を本で読んだ事もあるのですが、そういうのも関わっているのかなという気もしました。”というコメントを貰ったりもしたんですが、そういう要素も実際あると思います。


ただね、それって別に日本人に特有なものではないと思うんですよ。
イタリアのオーディション番組で日本人男性がスター候補に!観客は拍手喝采(動画あり) | FunDO
…うーん、これは素人臭さ満点。


歌手である以上、「歌が上手い」ってのはなかなか個性になりえないんですよね。
なんせ上手くて当たり前なので。
なのでその中であえて「欠点」や「異常さ」とか「足りなさ」を晒してやると、その人の「ひととなり」というか「ありのまま」感が出てウケることは、ままある。


ただしその「ひととなり」がウケるかどうかは正直ギャンブルなので、「その話を聞いて、わざと間違ってみたら評価がガタ落ちたぞこの野郎!」とか言われても困るのでやめて。