まともな批評について。

最近のインターネット空間でよく言われていること


とりあえず、評論…というかダメ出しするだけなら、何に対してでも、いくらでもできる。


というのも、世の中におけるあらゆる「作品」とか「表現」というものは、何かをよくしようとすればそれは必ず何かとトレードオフになっているので、何かを得るために「捨てた」部分を「これができていないからダメだ!」と声を上げればいいだけだから。
そして、「流行ってるものを貶す俺かっこいい」とか「なんでもいいから馬鹿にしてストレスのはけ口にしたい」みたいな欲求が世の中から消えることはないので、なんの役にも立たない批判のための批判ってのが世の中にはたくさんある。
インターネット言論空間上にはそういうニワカ評論家が増えすぎていて、いちいち真に受けながら暮らすと精神的につらい、という話も最近よく聞く。


一方で、「インターネット上の評論なんて全て等しく価値がないんだ!」とか「どうせなんでも評論家個人の好みの問題なんでしょ」みたいな中二病っぽい態度もそれはそれで人生損してる気もする。


私の思うまともな批評


基本的には、批評するポイントって
・その「コンセプト」は価値があるものなのか
・「コンセプト」を実現できるような「手段」が適切に選ばれているか
・その「手段」の「クオリティ」はどうか
…あたりになってくると思うんですよね。


それぞれについて
「全ての要素についてまんべんなく」
「是々非々で」
「具体的に」
書けているものを読むと、「ああ、勉強になる評論だったなあ」と思うことが多いし、それができていないと批判のための批判に感じることが多いですね。
で、「コンセプトを見定め」「それを実現するための手段を見定め」「そのクオリティを見定め」「それを的確にわかりやすく面白く語る」となると、やっぱりどうしてもセンスも勉強も必要となり、そこは評論家の腕の見せ所となる。


歌い手の批評とかでもねー、やれ「ビブラートがないから下手だ」だの「声量がないからダメだ」だの簡単に言う人いますけど、「コンセプト的に必要なのにできなかった」場合と「コンセプト的に必要がなかったのでやらなかった」場合では、評価は正反対になってしまいますからね。
他にも、「気持ちがこもってたからいいんだ!」とか簡単に言う人がいたりしますが、じゃあその「気持ち」って何?その「気持ち」を表現するためにどんな手段をとったの?その手段は「気持ち」を表現できる程度に洗練されていたの?みたいなツッコミを入れたくなってどうしようもなくなるときもあります。


歌で「上手いだけで面白くない」とかいう評価をよく聞くけど、要するに「コンセプトが自分好みではなかった」とか「コンセプトに新規性や独自性がなくてつまらなかった」とか「コンセプトに対してとった手段が有効ではなかった」とかいうことなんだろうなー、と思います。
逆に「下手だけどすごく好きだ!」みたいな評価の場合、コンセプトなり手段の選択に光るものがあったんじゃないかなー、と思ったり。
その辺を「なんで私はこう思ったのだろう」というのを突き詰めて考えてみると、けっこう面白かったりする。